一昨日、娘が出先で神懸かりになりました。
トランス状態に入り、幾つかの神社名、神様の名前をぶつぶつと呟いたのち、「やちまたのひこのかみ」と発した娘は、『群馬県 神社 やちまたのひこのかみ』というワードで検索するよう私に指示。
〝やちまたのひこのかみ〟
漢字での綴りがわからなかったため平仮名で検索すると、多くは無いけれど、それについて書かれたページがヒットしました。
〝八衢比古神〟
それは、れっきとした神の名前でした。
しかし、検索しても娘の目当ての神社がなかなか出て来ません。そのことを告げると
「ひこのかみを別の言葉に言い換えたもので意味は同じもの。を先に打って、次に群馬県て入れると出てくるよ」
「埼玉県に近い群馬県だよ」
娘の言う内容に沿って調べていくと、確かに八衢比古神と同一神として「八衢比売神」という名前が出てきます。
『八衢比売神 群馬県』で再度ググり、検索結果に出てきた神社名を娘に告げたところ、ここでビンゴ。
〝上州三嶋神社〟
所在地を確認すると、確かに埼玉寄りの群馬県に位置していました。
こちらの神社には、このとき私たちと一緒にいた方が呼ばれていたのだそう。
呼んでいたのは、八衢比古神。
その内容をその方に告げ、無事にミッションコンプリート。
娘は、頻度は減ったものの、未だにこういう精度で神懸かります。
私はこういうときの娘を(いつものことながら)すごいなあ。と思うと同時に、偉いなあ。と思います。
同じようなことを、お金を取って行っている大人もいる世の中において、彼女は「当然の役割」として奉仕で行なっています。まるで大人の行動です。
今この文章を書いていて思い出したことがあります。
私は、国家資格を有していますが、ご縁に導かれた方には無償でカウンセリングを行なっています。
やっていること(=カウンセリング)は「気付きのきっかけをつくること」でしかありません。
気付きを得ても、そこから先は当人の行動次第。
それは、娘が行なっていることに対しても言えることです。
書いていて気付きましたが、同じような価値観の元に行動をしているところが矢張り親子だな、と思いました。
幸せな気分です。
アイキャッチは、まさに一昨日娘が神懸かった場所(HARBS)で撮影した一枚。
この時はこんな公衆の面前で娘が神懸かることになろうとは思ってもいませんでした。