『平成』から『令和』へ

きょう、4月30日は私の誕生日です。また、本日を以って、平成というひとつの時代が終わりを迎えます。私たちは、今日まで生きてきた「時代」に区切りをつけて、次の「時代」を生きることになります。
「元号」は、その文字列を以って、全国民に「意識」を促します。
言葉の捉え方はさまざまですが、皆、各々の解釈をもって、元号を受け取ることになります。
何れにしても、皆、時代を意識し、生きることになるのです。

『令和』
初めて聞いたとき、直感で「良い」と感じました。
恐らく多くの方が同じように感じたことだろうと思います。

プラスの印象で新元号を受け取った方と話すと、皆一様に「道が通じた」かのような話をしてくれました。
「新しい時代と、その時代が指し示す意味に対し、少しでも貢献したい」
そうしたメッセージを友人やビジネス仲間から聞けたことは驚きでもあったし、嬉しくもありました。
私自身、全く同じことが心に刻まれたからです。

「令和」という言葉を聞いたとき、私は不思議な感覚を得ました。
言葉を受け取った瞬間から、視座がグッと上がり、一瞬にしてステージが変わった。というか、「在るべき場所」に立たされた感覚をおぼえました。例えるのであれば、勝手に上方修正がされたかのような状態です。
それから数時間後には、経営している会社のミッションを書き換えリリースしたのですが、実はこの時の記憶は殆どありません。ただ、感覚に従ったのは確かです。
また、こうした感覚をおぼえ何かしら行動に至ったのは私だけではない。ということを一両日中に知ることができたことは、私にとって大きな希望と勇気になりました。

一方で、今回、新元号や代替わりについて、マイナスに捉えた方も多くいたようでした。言葉尻を突いて揚げ足を取る方や、敢えて無関心を宣言する方なども、SNSで見かけました。最近あまりSNSを見ない中、目につくということは、一定数いらっしゃったのだろうと思っています。
令和という時代は、ドラスティックに価値観が変わる時代になるはずです。
わかりやすく例えるのであればそれは、M&Aで会社の価値観が根本から変わるような感じです。
となれば、もちろんそこには人選が発生します。
令和に生きることのできる人、平成に取り残される人、昭和に戻る人。いろんな人が出てくるはずです。
平成に取り残されず令和を生きるためには、過去は過去のものとしたうえで、この先を「人間力」を以って進む必要があります。

もうだいぶ前から「ロジカル」は正義ではなくなってきていましたし、人として主体性と五感、共感が問われる時代に入っていました。
自分を真っ直ぐ見つめて内省し、想いと感情を認識するところこそがスタートです。
そのうえで、自分の気持ちを言葉にあらわし行動する。そうしたことが、強く求められる時代。それが『令和』だと思っています。